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マルゼニアンの彰考往来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

明治・新聞事始め 『時事新報』の福澤諭吉 と 『自由新聞』の板垣退助 〜2人を繋ぐ彫刻家

「大学卒業後は、新聞社に入りたい」 バブルはとっくに弾け、就職難に突入していた時世。 若さと情熱以外持ち得なかったそんな私を 家族のように温かく迎え入れてくれた新聞社があった。 入社してみると、6大新聞の1社とは思えぬほどの アットホームで、人…

夏目漱石没後100年〜 よみがえった「漱石先生」と100年前の「日本橋丸善」(漱石アンドロイド)

「こんな夢をみた」 この言葉を繰り返し、次から次へと 主人公の「私」が夢の中で目にした あらゆる出来事へと場面が展開していくーー 黒澤明監督作品映画 「夢」 「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」 「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の…

『檸檬』の京都丸善復活! 多くの文豪たちに愛された丸善と88年前の社員たち

さらさらと心地よい水の流れを感じることのできる美しい高瀬川沿いを散歩しながら 幼い頃に読んだ森鴎外の『高瀬舟』の内容を思い出していた。 ▶︎ 京都・高瀬川のせせらぎ (2015年9月29日訪問・撮影) 高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する木造の小舟。 江戸時…

日本橋 MARUZEN Cafe 〜バラエティ豊かなハヤシ(早矢仕)ライス

日本橋丸善3階の「MARUZEN Cafe」 いつもたくさんのお客さんで賑わっている。 年配の紳士やご婦人、お買い物帰りに立ち寄る女性など その年齢層は比較的高めに感じるも ランチタイムともなれば、幅広い客層で満席となる。 丸善創業者の早矢仕有的が考案した…

「丸善駒込工場」と詩人・高村光太郎 そして妻・智恵子の人生

それでも善い方なのよ傘貸してくれる工場なんか外(ほか)にない事よ」 番傘の相合傘の若い女工の四五人連れ午後五時の夕立の中を足つま立って尻はしよりしをらしく千駄木の静かな通を帰ってゆく ああすれちがつた今の女工達丸善インキ工場の女工達 (高村光…

「日本橋丸善」と岡崎の八丁味噌〜 味噌が繋いだ、岡崎藩士と丸善社員たちの絆

徳川家康公の重臣と聞いて 思い浮かぶのは、どんな武将だろうか。 五世祖父の家系が、古くより本多岡崎藩士であった私は まっさきに、藩祖・本多平八郎忠勝公を挙げるだろう。 ▶︎ 本多平八郎忠勝公 (1548年〜1610年)出 典;Wikipedia 戦の時には必ず鎧の上…

明治 大正を生きた、文芸評論家で翻訳家、小説家の内田魯庵と「日本橋・丸善」〜 夏目漱石との交流

作家 三島由紀夫が自ら命を絶つ9カ月前 英国の翻訳家、ジョン・ベスターと対談した 肉声テープが、赤坂TBS内にて発見された。 ▶︎ 三島由紀夫(1956年撮影;31歳) 出 典;wikipedia 約1時間20分にわたり自身の死生観、 文学論などを淡々と語るそのテープ。 …

明治から昭和を生きた女医・荻野吟子と間宮八重〜 北の大地で力強く生きた母とその子息・間宮不二雄

女性にまだ医学への道が閉ざされていた時代。 数々の困難を克服し、 日本人第一号の女医となった人物がいた。 荻野吟子である。 ▶︎ 荻野吟子(1851〜1913) 出 典;Wikipedia 黒船来航2年前の、嘉永4年(1851年)3月3日。 武蔵野国幡羅郡(現;埼玉県熊谷市…

祝『學鐙』創刊120周年 〜 北川和男 元編集長が繋いだ、親子三世代 その「心」と「絆」

昨年末の11月25日(金)熱海に新名所が誕生した。 ▶︎ JR熱海駅に登場した駅ビル、LUSCA熱海(ラスカあたみ) (2017年1月27日撮影) 熱海の名産から道中必要な医薬品・日用品までが揃う LUSCA熱海(らすかあたみ) 釜鶴ひもの店を始め、あをき干物店、 老舗和…

Under the cherry tree 桜の木の下で 〜 急逝した丸善人 松下鐡三郎・領三親子を想う

JR東京駅から茅場町方面へと抜ける 約1キロほどの細長い道。 「日本橋さくら通り」と呼ばれるこの通りは その名の如くこの季節、美しい桜の花たちに包まれる。 物心ついた時から、毎日のように この通りを母と歩いては、色々な話をし、笑いあい 丸善と髙島…

<秋の特別公開> 伊豆 修善寺庭園・東海第一園 〜夏目漱石 『ケーベル先生』と「初っさん」と

祖父が親しくしていた友人に 「福本初太郎」さんという方がいる。 通称「初っさん」 明治37年(1904年)4月1日。 日本橋丸善に入社した福本さんは、 後に丸善株式会社5代目社長となる、 山崎信興氏の元、仕事のノウハウを学び、 その後「万年筆」という名…