マルゼニアンの彰往考来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

About Trip (旅)

<丸善と美術界 ③> 岡田三郎助に学んだ洋画家・辻 永 〜山羊を愛した三兄弟が心に描いた “ 理想郷 ”

東京都渋谷区恵比寿三丁目。 サッポロビール工場跡地の再開発事業として 平成6年(1994年)に誕生した複合施設 「恵比寿ガーデンプレイス」にも程近いこの地区は かつて「伊達町」と呼ばれていた。 江戸時代この付近にあった 伊予宇和島藩伊達家下屋敷が そ…

瀕死の丸善を守った、小柳津要人 〜彼を支え続けた “ 惣まくり ” の精神 と CSRの先駆者・早矢仕有的の「志」

明治17年(1884年)5月 閉店後の日本橋丸善。 その日も相変わらず真夜中近くまで 煌々と明かりが灯っていた。 部屋の中にただ1人残り 黙々と事務作業を続けている人物。 それは東京本店支配人の 小柳津要人だった。 ▶︎ 小柳津要人(1844〜1922) 大学南校、…

アメリカに渡った5人の「米国商法実習生」〜吉田松陰の “ 願い ” を叶えた「 短刀 」と消えた福澤門下・鈴木東一郎

その昔、江戸へと向かう船舶の寄港地として 大いに栄えた下田港。 ▶︎ 下田港に佇む、マシュー・ペリー像 2017年3月18日訪問・撮影 我が家の “ ラストサムライ ” だった 高祖父・泰輔が書き残した日記に 度々登場するこの町は 幕末の息吹を感じることのできる…

拝 啓 私の「オヤイヅサン」〜 丸善3代目社長・小柳津要人の「志」

幼いころからなぜかとてもお気に入りだった 1枚のポートレイトがある。 幕末から大正期までを生きた 古い家族たちの写真とともに 我が家の「写真箱」の中で 家族同然、それ以上に大切にされてきた 1枚の立派なポートレイト。 そこに写っている人物は 白い髭…

『檸檬』の京都丸善復活! 多くの文豪たちに愛された丸善と88年前の社員たち

さらさらと心地よい水の流れを感じることのできる 美しい高瀬川沿いを散歩しながら 幼い頃に読んだ森鴎外の『 高瀬舟 』の内容を思い出していた。 ▶︎ 京都・高瀬川のせせらぎ ( 2015年9月29日訪問・撮影 ) 高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する木造の小舟。 江…

「丸善駒込工場」と詩人・高村光太郎 そして妻・智恵子の人生

それでも善い方なのよ傘貸してくれる工場なんか外( ほか )にない事よ 番傘の相合傘の若い女工の四五人連れ午後五時の夕立の中を足つま立って尻はしよりしをらしく千駄木の静かな通を帰ってゆく ああすれちがつた今の女工達丸善インキ工場の女工達 ( 高村光…

「日本橋丸善」と岡崎の八丁味噌〜 味噌が繋いだ、岡崎藩士と丸善社員たちの絆

徳川家康公の重臣と聞いて 思い浮かぶのは、どんな武将だろうか。 五世祖父の家系が、古くより本多岡崎藩士であった私は まっさきに、藩祖・本多平八郎忠勝公を挙げるだろう。 ▶︎ 本多平八郎忠勝公 ( 1548年〜1610年 ) 出 典;Wikipedia 戦の時には必ず鎧の…