マルゼニアンの彰考往来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

Under the cherry tree 桜の木の下で 〜 急逝した丸善人 松下鐡三郎・領三親子を想う

JR東京駅から茅場町方面へと抜ける

約1キロほどの細長い道。

 

日本橋さくら通り」と呼ばれるこの通りは

その名の如くこの季節、美しい桜の花たちに包まれる。

 

物心ついた時から、毎日のように

この通りを母と歩いては、色々な話をし、笑いあい

丸善と髙島屋に向かっていたことを思い出す。

 

本が大好き、日本橋丸善が大好きな私は

放っておけば何時間でも丸善にいる、そんな子どもだった。

 

私たち家族にとって、言葉にできないほど

思い出溢れるこの通りに、今年も春が来た。

 

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▶︎ 日本橋丸善から臨む、東京駅方面。この通りも少しずつ様変わりしている

 

 

 

この街の通りに桜の木々が植樹されたのは

 

 

 

昭和31年(1956年)



 

更に遡ること20年前の昭和11年(1936年)に

最初の桜たちが植樹されるも

第二次世界大戦の空襲で焼失。

 

「戦争」という悲しい時代の記憶を乗り越え

日本の復興期、新たに植樹されたのが

現在私たちの目を愉しませてくれている

この桜たちだ。

 

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日本橋丸善は、長きに渡る歴史の中で

大きな経営危機を迎えたことがあった。

 

 

当時の社長は、二代目の「松下鐡三郎」

 

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        ▶︎  松下鐡三郎(1853〜1900) 筆者私物

 

 

 

三河吉田(豊橋藩士 松下半助の長男だった彼は

少年時代に通った藩校・時習館の教師であった

中村道太(のち横浜正金銀行初代頭取)を頼り

明治6年(1873年)に豊橋から日本橋へと上京した。

 

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 ▶︎ 中村道太(1836〜1921)  出 典;『丸善百年史』

 

東三河地方で初めての銀行である「浅倉屋積金所(つみきんしょ)」を設立。

政府の国立銀行条例に基づき、豊橋に第八国立銀行を設立した、愛知の偉人。

彼の功績を讃える顕彰碑「中村道太の碑」は、いまも豊橋公園に佇む

 

 

 

 

師匠である中村道太は、旧三河吉田藩江戸詰から

幕臣に取り立てられた有能な人物で

勝海舟福澤諭吉とも交流があった。

 

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   ▶︎ 勝海舟(1823〜1899)   出 典;Wikipedia

       

     一部の幕臣たちから「裏切り者」呼ばわりされることもあったという勝。

    それでも彼は、明治の世となり失業、路頭に迷った士族たちの救済を続けていった

 

 

 

福澤諭吉慶應義塾で学んだ中村は、

明治維新後、家禄を失い路頭に迷う武士たちを集めて

中村屋(洋物商)を創業する。

 

上京した門弟の松下鐡三郎が入社したのが

この中村屋だった。

 

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▶︎ 『天才相場師の戦場』鍋島高明著(河出書房新社刊)

 

松下鐡三郎の師匠・中村道太は「横浜正金銀行」ほか設立後、東京米商会所の頭取となる。

道太の人生に訪れた「光」と「闇」を、元日本経済新聞社・商品部記者の鍋島高明があぶり出す

 

 

 

 

 

 

明治7年 (1874年) 

中村屋「丸屋商社(丸善前身)」と合併

 

 

 

 

こうして丸屋商社の一員となった、松下鐡三郎。

 

明治13年(1880年)ロシア・ウラジオストク出張所で

主任として貿易関連業務に手腕を振るう中

突然会社から呼び戻された。

 

西南戦争に起因する、日本の赤字財政。

 

猛烈なインフレーションと

それに続く、デフレーション

 

こうした時代背景の中、

丸屋商社の屋台骨となっていた、丸屋銀行が破綻。

 

それは丸善にとって、絶体絶命の窮地だった。

 

丸屋銀行の負債額、約70万円

丸屋商社の負債額 約30万円

 

現在のお金に換算すると、約50億円の負債。

 

社長の早矢仕有的氏は、

丸屋銀行整理のため、退任。

 

その後任として白羽の矢がたったのが

松下鐡三郎だった。

 

支店を減らすことによる、経営規模の縮小。

 

丸屋銀行破綻後、丸善の金融を後押しした

「東里為替店」も一連托生だった。

 

この再建の途中、社長・松下鐡三郎は

47歳で病死する。

 

事態の責任を一身に受け、立ち向かった苦心の経営。

その苦労の数々が、彼を早々天へと連れ去ったのだろう。

 

丸善が完全に再建されたのは、松下が急逝した

翌年のことだった。

 

 

松下鐡三郎の突然の死から、9年。

 

ありし日の父の背中を追いかけ、

東京帝国大学(現;東京大学)法学部卒業とともに

丸善へと入社した、長男・領三氏。

 

丸善における、帝大出身社員第一号の彼は

その将来を大きく期待されたのだろう。

 

大正5年(1916年)には、取締役へと就任した。

 

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                ▶︎ 丸善株式会社本社社員集合写真(大正8年ごろ撮影)筆者私物

                前列左より)金澤末吉、松下領三、山崎信興、斎藤定四郎(本社重役陣)

 

 

 

大正15年(1926年)1月1日

 

 

 

 

そのころの丸善本社では、毎年元旦に

社員たちが集って「新年祝賀会」を行い

記念写真を撮影したものだった。

 

大正15年の年を迎えた、おめでたい日の帰り道。

 

本社を出た領三は、会社付近の市電乗り場で
走ってきた「東京乗合自動車」のバスに

撥ねられ、手当の甲斐なく即日死亡した。

 

42歳だったーー

 

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▶︎ 大正後期の銀座中央通りの様子。領三は、この先の停留所で市電を待っていた



原因はバスの運転手の飲酒。

泥酔状態だったという記録が残る。

 

松下氏の妻は、バス会社からの慰籍料を固辞。

 

今後いたましい事故が二度と起こらないよう

丸善社屋前の停留所に、セーフティゾーンを

設けるよう懇願したという。

 

突然愛する人を失った家族の深い悲しみ。

 

有能な幹部を襲ったあまりにも突然すぎる厄災は

当時の丸善社員たちの心を深く深く傷つけた。

 

私の祖父もその1人だった。

 

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自身の代表作となった『檸檬』の中で、

丸善を描いた梶井基次郎

桜の樹の下には』という作品の冒頭

こんな衝撃的なことをいっている。

 

 

 

 

桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!

これは信じていいことなんだよ。

何故って、桜の花があんなに見事に咲くなんて

信じられないことじゃないか。

(『桜の樹の下には梶井基次郎著より抜粋)

 

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               ▶︎ 『檸檬梶井基次郎著  左)角川文庫版 右)新潮文庫

ともに『桜の樹の下には』収録。筑摩書房からは『梶井基次郎全集』も発行されている

 

 

 

今年も「日本橋さくら通り」を彩った

美しい桜たち。

 

もちろんここに、梶井基次郎が思っているような

ものはなにも埋まってはいない。

 

この場所にあるのは、志半ばで命を失った

松下鐡三郎・領三親子の生きた時間。

 

丸善へ捧げた大切な日々と

ともに過ごした、仲間への深い愛情。

 

そして、筆舌に尽くしがたい深い悲しみを抱え

この街の交通安全をただひたすらに願い続けた、

松下一家の切なる思いだろう。

 

若くして大切な伴侶を突然に失った

夫人のその後の人生を想うと

本当に胸が痛い。

 

この場所に最初の桜たちが植樹されたのは、

昭和11年(1936年)のこと。

 

松下領三氏の悲しい事故から

ちょうど10年後の春だった。

 

その植樹のことを知らぬまま、領三の弟・末三郎も

叔父・包次郎もこの世から旅立っていった。

 

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▶︎ 領三氏を失って4年後の「丸善本社重役陣」(昭和4年撮影;筆者私物)

 

前列左より)松下末三郎(領三氏弟君)、金澤末吉、山崎信興、松下包(かね)次郎(領三氏叔父上)

山崎信興氏は、5代目社長。金澤末吉氏は、のち6代目社長となる人物である

 

 

 

 

 

過ぎ行く長い長い時間の中、

いまは誰も知ることのなくなった

こうした過去のできごと。

 

この街を彩る桜たちも、昨年「還暦」を迎えた。

 

約60年といわれる、ソメイヨシノの寿命。

 

どうか来年も、そのまた来年も

元気で美しい花を咲かせて欲しい。

 

この街を行き交う人々の目を愉しませ

柔らかな希望の光で、心を照らして欲しい。

 

 

 

 

 

Under the cherry tree

桜の木の下で  

いま遠く君を想う

 

 

 

 

すっかり葉桜となり始めたこの街の桜に

より一層の深い愛情を感じる春となったーー

 

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  ▶︎  日本橋丸善横の桜の木。正面左手が「日本橋髙島屋」

   平成21年(2009年) 百貨店建築初の重要文化財に指定された

 

 

 

<参考文献>

 

丸善社史』(1951年発行・丸善株式会社)

丸善百年史』(1981年発行・丸善株式会社)

 

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