マルゼニアンの彰往考来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「丸善駒込工場」と詩人・高村光太郎 そして妻・智恵子の人生

それでも善い方なのよ傘貸してくれる工場なんか外( ほか )にない事よ 番傘の相合傘の若い女工の四五人連れ午後五時の夕立の中を足つま立って尻はしよりしをらしく千駄木の静かな通を帰ってゆく ああすれちがつた今の女工達丸善インキ工場の女工達 ( 高村光…

「日本橋丸善」と岡崎の八丁味噌〜 味噌が繋いだ、岡崎藩士と丸善社員たちの絆

徳川家康公の重臣と聞いて 思い浮かぶのは、どんな武将だろうか。 五世祖父の家系が、古くより本多岡崎藩士であった私は まっさきに、藩祖・本多平八郎忠勝公を挙げるだろう。 ▶︎ 本多平八郎忠勝公 ( 1548年〜1610年 ) 出 典;Wikipedia 戦の時には必ず鎧の…

明治 大正を生きた、文芸評論家で翻訳家、小説家の内田魯庵と「日本橋・丸善」〜 夏目漱石との交流

作家 三島由紀夫が自ら命を絶つ9カ月前 英国の翻訳家、ジョン・ベスターと対談した 肉声テープが、赤坂TBS内にて発見された。 ▶︎ 三島由紀夫(1956年撮影;31歳) 出 典;Wikipedia 約1時間20分にわたり自身の死生観、 文学論などを淡々と語るそのテープ。 …

明治から昭和を生きた女医・荻野吟子と間宮八重〜 北の大地で力強く生きた母とその子息・間宮不二雄

女性にまだ医学への道が閉ざされていた時代。 数々の困難を克服し、 日本人第一号の女医となった人物がいた。 荻野吟子である。 ▶︎ 荻野吟子(1851〜1913) 出 典;Wikipedia 黒船来航2年前の、嘉永4年(1851年)3月3日。 武蔵野国幡羅郡(現;埼玉県熊谷市…

祝『學鐙』創刊120周年 〜 北川和男 元編集長が繋いだ、親子三世代 その「心」と「絆」

昨年末の11月25日(金)熱海に新名所が誕生した。 ▶︎ JR熱海駅に登場した駅ビル、LUSCA熱海(ラスカあたみ) (2017年1月27日撮影) 熱海の名産から道中必要な医薬品・日用品までが揃う LUSCA熱海(らすかあたみ) 釜鶴ひもの店を始め、あをき干物店、 老舗和…

Under the cherry tree 桜の木の下で 〜 急逝した丸善人 松下鉄三郎・領三親子を想う

JR東京駅から茅場町方面へと抜ける 約1キロほどの細長い道。 「日本橋さくら通り」と呼ばれるこの通りは その名の如くこの季節、美しい桜の花たちに包まれる。 物心ついた時から、毎日のように この通りを母と歩いては、色々な話をし、笑いあい 丸善と髙島…