マルゼニアンの彰往考来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

2018-01-01から1年間の記事一覧

瀕死の丸善を守った、小柳津要人 〜彼を支え続けた “ 惣まくり ” の精神 と CSRの先駆者・早矢仕有的の「志」

明治17年(1884年)5月 閉店後の日本橋丸善。 その日も相変わらず真夜中近くまで 煌々と明かりが灯っていた。 部屋の中にただ1人残り 黙々と事務作業を続けている人物。 それは東京本店支配人の 小柳津要人だった。 ▶︎ 小柳津要人(1844〜1922) 大学南校、…

< 太平洋戦争と丸善 1 > 「 それぞれの終戦 〜1945.8.15 」( 丸善社員・北川和男、富士元喜代司、倉本徳太郎の記憶 )

昭和19年( 1944年)から始まった アメリカ軍による、日本本土への空襲。 ▶︎ 日本への空襲を行った 「 B29爆撃機 」 出 典;Wikipedia 日増しに激しくなる、太平洋戦争の戦禍から身を守るため 多くの人々が空襲の多かった都市部を離れ 安全な場所へと疎開( …

アメリカに渡った5人の「米国商法実習生」〜吉田松陰の “ 願い ” を叶えた「 短刀 」と消えた福澤門下・鈴木東一郎

その昔、江戸へと向かう船舶の寄港地として 大いに栄えた下田港。 ▶︎ 下田港に佇む、マシュー・ペリー像 2017年3月18日訪問・撮影 我が家の “ ラストサムライ ” だった 高祖父・泰輔が書き残した日記に 度々登場するこの町は 幕末の息吹を感じることのできる…

大逆事件( 幸徳事件 )と丸善 〜「 非戦論 」を唱え散っていた、幸徳秋水と時流に臆せず「 信念 」を貫き通した、内田魯庵

明治36年(1903年)10月12日 3人の花形記者が揃って 『萬朝報』を退社した旨を伝える 記事が同紙面上に躍った。 ▶︎ 『萬朝報』明治25年(1892年)11月1日創刊 出 典;小学館デジタル大辞泉 都新聞(現;東京新聞)を退社した黒岩涙香が創刊。 第3面に扇情的…

丸善の窮地を救った男・金原明善 〜生涯を社会公共事業に捧げた、明治の実業家

全国有数の急流河川である天竜川は 諏訪湖を源流に、長野、愛知、静岡を通り 太平洋・遠州灘に注ぎ込む、長さ213kmの大河川である。 “ 暴れ天竜 ” の異名を取るこの川は 毎年雨季の訪れとともに氾濫を起こしては 付近の村々に甚大な被害を与えていた。 遥か…

時を超えた不思議なメッセージ 〜先人たちに感謝する「心」の大切さ

2016年の1年間のみだったが なんとも不思議な体験をした。 高祖母の旧友であった、小柳津要人が 何度も夢に現れては、私にこう語りかけた。 「お世話になった人の命日には こうしてお参りをしたものだよ」 毎回毎回、異なる全く見知らぬ、廟所。 しかしなが…