マルゼニアンの彰往考来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

2025-01-01から1年間の記事一覧

< 丸善と美術界4 > 「 ヴァン・ゴッホ生誕百年記念展 」を開催した丸善 :日本に初めてゴッホを紹介した「 白樺派 」と画家・山下 清を見出した、精神科医で文筆家・式場 隆三郎 〜 未来へ継承 大石 輝一の「 アートガーデン 」

今から遡ること65年前のこと。 フィンセント・ファン・ゴッホの 複製画を集め始めたことをきっかけに 複製名画の美術館を自費で建設しようと 尽力した一人の洋画家がいた。 その人物の名は「 大石 輝一 」 (おおいし てるかず) 「 アート・ガーデン 」(藝…

< 明治期の台湾と丸善2> 生涯を台湾原住民研究と植物学研究に捧げた、情熱の探検家・研究家 森 丑之助と作家・佐藤 春夫 その友情

大正15年(1926年)7月3日。 台湾・基隆港を出港、日本へと向かう 内台航路の「 笠戸丸 」から 1人の男が漆黒の洋上へと身を投じた。 男の名は「 森 丑之助 」 18歳から概ね30年もの間 未開の地だった台湾に暮らし 原住民研究や植物調査に 多大なる力を尽く…

< 明治期の台湾と丸善1 > 偉大なる台湾研究の先駆者・伊能 嘉矩 と門下生・板澤 武雄 〜「 芝山巌事件 」で惨殺された先祖のゆかり人・六氏先生/関口 長太郎を想う

平成30年(2018年)5月。 幼い頃から心惹かれ続ける、宮澤 賢治を訪ね 彼の故郷・岩手を旅した時のこと。 遠野の街で1人の人物と出逢った。 その人の名は 「 伊能 嘉矩 」(いのう かのり) 人生で初めて出逢うはずなのに その「 顔 」に遠く見覚えがあるよ…

< 太平洋戦争と丸善 5 > 戦中、丸善人事課長だった「 私 」 の遠い家族の物語 〜比島(フィリピン)の彼方に消えた、陸軍飛行第62戦隊・米津 政夫中尉と陸軍少尉・五十嵐 悌二

やさしかった母と「 私 」が 生き別れになったのは ちょうど日露開戦の明治37年(1904年)2月のこと。 母の名は千代といい「 私 」の生まれ故郷である 愛知県西尾市の著名な漢学者で教育者の 米津 亀太郎(西疇)の次女だった。 ▶︎ 米津 亀太郎(1838年〜191…