マルゼニアンの彰往考来

日本橋丸善を愛する私の大切な「宝箱」

2017-01-01から1年間の記事一覧

<改 訂>帝国飛行協会と丸善アテナインキ 〜 「愛国切手」に命を燃やした、土井晩翠の子息・英一

明治43年(1910年) 12月19日午前。 東京・代々木の「代々木練兵場」 (現;代々木公園)にできた黒山の人だかり。 集まった多くの人々は「その瞬間」を いまか、いまかと待ち望んでいた。 人々が息をのみ、じっと見つめるその先には フランス製のアンリ・フ…

拝 啓 私の「オヤイヅサン」〜 丸善3代目社長・小柳津要人の「志」

幼いころからなぜかとてもお気に入りだった 1枚のポートレイトがある。 幕末から大正期までを生きた 古い家族たちの写真とともに 我が家の「写真箱」の中で 家族同然、それ以上に大切にされてきた 1枚の立派なポートレイト。 そこに写っている人物は 白い髭…

日本橋丸善と切磋琢磨した、明治の実業家「 清水卯三郎 」

慶應3年(1867年)1月11日。 一隻の船がフランスに向かい 横浜港を出航した。 フランス船「アルフェト号」 乗船していたのは、15代将軍 徳川慶喜公の弟君・徳川昭武公を 筆頭とする、40名ほどの日本人の一団。 ▶︎ 最後の水戸藩主・徳川昭武公(1853-1910) …

わずか1ヵ月の丸善人・前田 哲人 〜『 週刊朝日 』がつないだ、45年の思い

昭和33年7月6日発行号(6月下旬発売)の 『週刊朝日』にある投稿が掲載された。 「 50年の思い出 」 このタイトルに続き、こんなことが書かれていた。 投稿の送り主は、かつてわずかな期間 「丸善大阪支店」に勤めていたこと。 とても気が弱かったこともあり…

約1世紀に渡り故郷を支援し続ける「丸善薬品産業株式会社」〜初期丸善人・須賀磯八の志

福井県北部。 県都・福井市に次ぐ規模を持つ、 福井県坂井市。 この町に、日本に現存する天守の中で 最も古い建築様式を持つ城がある。 日本100名城・丸岡城 ▶︎ 日本100名城・36番「丸岡城(坂井市丸岡町霞町1-59) 2017年5月4日撮影 その昔、加賀国 (現;石…

「東洋文庫」と丸善 〜 その設立までをともに歩んだ丸善「洋書係」八木佐吉と櫻井喜代志

文京区本駒込。 この付近一帯がまだ「本郷區」と呼ばれていた 明治から昭和にかけ、私の曾祖父一家は この街に暮らしていた。 旧本多岡崎藩士であれば暮らすことができた 本郷區森川壱番地(現;東京都文京区本郷)の 本多岡崎藩旧江戸藩邸を経て、古い時代…

丸善の「 立体広告 」を手がけた、夭折の丸善社員・大浦周蔵と「 白馬会洋画研究所 」

明治の終わりごろのこと。 大阪駅前に「三越呉服店」の 大きな看板が掲げられた。 「 婦人像(紫調べ)」 ▶︎「婦人像(紫調べ)」 岡田三郎助 当時三越呉服店(のちの三越)の理事であった 高橋義雄の夫人をモデルに描き、 明治40年(1907年)開催の「東京勧…

福澤諭吉と日本初の株式会社「丸屋商社」  〜初期「丸善」を支えた中津の偉人たち

東京都中央区明石町。 築地にも銀座にもほど近い静かなこの街は 母方が祖母の代から暮らす、私の故郷である。 私がこの世に生まれ、第一声をあげた 「聖路加国際病院」 ▶︎ 現在「聖路加看護大学」となっているこの建物が、かつての聖路加病院。 人生の中でも…

明治・新聞事始め 『時事新報』の福澤諭吉 と 『自由新聞』の板垣退助 〜2人を繋ぐ彫刻家

「 大学卒業後は、新聞社に入りたい 」 バブルはとっくに弾け、就職難に突入していた時世。 若さと情熱以外持ち得なかったそんな私を 家族のように温かく迎え入れてくれた新聞社があった。 入社してみると、6大新聞の1社とは思えぬほどの アットホームで、…

夏目漱石没後100年〜 よみがえった「漱石先生」と100年前の「日本橋丸善」(漱石アンドロイド)

「こんな夢をみた」 この言葉を繰り返し、次から次へと 主人公の「私」が夢の中で目にした あらゆる出来事へと場面が展開していくーー 黒澤明監督作品映画 「夢」 「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」 「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の…

『檸檬』の京都丸善復活! 多くの文豪たちに愛された丸善と88年前の社員たち

さらさらと心地よい水の流れを感じることのできる 美しい高瀬川沿いを散歩しながら 幼い頃に読んだ森鴎外の『 高瀬舟 』の内容を思い出していた。 ▶︎ 京都・高瀬川のせせらぎ ( 2015年9月29日訪問・撮影 ) 高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する木造の小舟。 江…

日本橋 MARUZEN Cafe 〜バラエティ豊かなハヤシ(早矢仕)ライス

日本橋丸善3階の「MARUZEN Cafe」 いつもたくさんのお客さんで賑わっている。 年配の紳士やご婦人、お買い物帰りに立ち寄る女性など その年齢層は比較的高めに感じるも ランチタイムともなれば、幅広い客層で満席となる。 丸善創業者の早矢仕有的が考案した…

「丸善駒込工場」と詩人・高村光太郎 そして妻・智恵子の人生

それでも善い方なのよ傘貸してくれる工場なんか外( ほか )にない事よ 番傘の相合傘の若い女工の四五人連れ午後五時の夕立の中を足つま立って尻はしよりしをらしく千駄木の静かな通を帰ってゆく ああすれちがつた今の女工達丸善インキ工場の女工達 ( 高村光…

「日本橋丸善」と岡崎の八丁味噌〜 味噌が繋いだ、岡崎藩士と丸善社員たちの絆

徳川家康公の重臣と聞いて 思い浮かぶのは、どんな武将だろうか。 五世祖父の家系が、古くより本多岡崎藩士であった私は まっさきに、藩祖・本多平八郎忠勝公を挙げるだろう。 ▶︎ 本多平八郎忠勝公 ( 1548年〜1610年 ) 出 典;Wikipedia 戦の時には必ず鎧の…

明治 大正を生きた、文芸評論家で翻訳家、小説家の内田魯庵と「日本橋・丸善」〜 夏目漱石との交流

作家 三島由紀夫が自ら命を絶つ9カ月前 英国の翻訳家、ジョン・ベスターと対談した 肉声テープが、赤坂TBS内にて発見された。 ▶︎ 三島由紀夫(1956年撮影;31歳) 出 典;Wikipedia 約1時間20分にわたり自身の死生観、 文学論などを淡々と語るそのテープ。 …

明治から昭和を生きた女医・荻野吟子と間宮八重〜 北の大地で力強く生きた母とその子息・間宮不二雄

女性にまだ医学への道が閉ざされていた時代。 数々の困難を克服し、 日本人第一号の女医となった人物がいた。 荻野吟子である。 ▶︎ 荻野吟子(1851〜1913) 出 典;Wikipedia 黒船来航2年前の、嘉永4年(1851年)3月3日。 武蔵野国幡羅郡(現;埼玉県熊谷市…

祝『學鐙』創刊120周年 〜 北川和男 元編集長が繋いだ、親子三世代 その「心」と「絆」

昨年末の11月25日(金)熱海に新名所が誕生した。 ▶︎ JR熱海駅に登場した駅ビル、LUSCA熱海(ラスカあたみ) (2017年1月27日撮影) 熱海の名産から道中必要な医薬品・日用品までが揃う LUSCA熱海(らすかあたみ) 釜鶴ひもの店を始め、あをき干物店、 老舗和…

Under the cherry tree 桜の木の下で 〜 急逝した丸善人 松下鉄三郎・領三親子を想う

JR東京駅から茅場町方面へと抜ける 約1キロほどの細長い道。 「日本橋さくら通り」と呼ばれるこの通りは その名の如くこの季節、美しい桜の花たちに包まれる。 物心ついた時から、毎日のように この通りを母と歩いては、色々な話をし、笑いあい 丸善と髙島…