▶︎ 奥平家の国許「中津城」(中津市ニノ丁本丸)(2017年6月24日撮影)
決死の覚悟で守り抜いた、奥平信昌公を
先祖に持つ、この奥平家の家臣団には
幕末から明治にかけ “ 新しい日本 ” を
リードしていく、あの福澤諭吉がいた。
▶︎ 文久2年、中津藩士のころの福澤諭吉(1835〜1901)
出 典:『丸善百年史』
天保5年(1835年)1月10日
▶︎ 適塾を開いた蘭方医・緒方洪庵が眠る「金峰山 高林寺」(東京都文京区向丘)
高林寺さんのある「旧本郷区駒込エリア」は、丸善3代目社長であった小柳津要人や
私の父方の古い家族が、明治から大正・昭和と愛し暮らした街である (2016年2月13日撮影)
▶︎ 朝吹英二(1849〜1918) 出 典;Wikipedia
そのほか、新しい明治という世の中で
これまでの「着物」に加え
便利な「洋服」を浸透させていこうと
福澤諭吉指導のもと、我が国初期の
テイラーとして活躍した、高橋岩路。
▶︎ 明治5年(1872年)丸屋商社に譲渡された 「慶應義塾衣服仕立局」
テイラーだった高橋岩路は、銀座にあった「丸屋裁縫店」が新たな職場となった
経営方針の違いから、2年あまりで退社していくも
郷里・中津の町で「第七十八国立銀行」を
立ち上げ頭取となる、山口広江。
この2人の人物も中津の人であり
丸屋商社の社員であった。
(※ 高橋は明治5年、山口は明治6年入社)
▶︎ 中津城と町の人々を見守る「奥平神社」(中津市ニノ丁)(2017年6月24日撮影)
「長篠の戦い」で奥平氏の軍勢500人は、武田勝頼軍1万5000人に攻められるも
掘のたにしを食べて籠城戦を続けたことから、毎年5月21日には「たにし祭り」が開催されている
この町で懸命に学び、江戸で慶應義塾を作り
新しい明治という世の実業界に大きく
羽ばたいていく「福澤山脈」と称される人々を
育てあげた、福澤諭吉。
その功績の大きさと偉大さは
はかりしれない。
▶︎ 学生有志を「散歩党」と称し、毎朝出掛けた福澤諭吉
出 典;慶應義塾福澤研究センター
祖父が遺した古い手帖をそっと開くと
小さい文字でこんな記載があった。
「品質調整検査・帳簿監査のため
九州・箱崎一年滞在」
丸善本社・取締役時代のことだろうか。
福岡・箱崎の町に1年も暮らしていたことを
はじめて知った瞬間だった。
そしてその下に書かれた
足を運んだ「見物場所」には、
「別府ー中津ー耶馬渓」の文字。
祖父も生前、この中津の町へと
足を運んだのだ。
「中津」と書いたからには、
福澤諭吉の旧居を訪ね、奥平神社に参拝し
中津城も目にしたのだろう。
私と祖父は会ったことがないのに
不思議と共通点が多く、誕生日も同じだ。
そして、いつもその人生で
同じ場所を求め、足を運んでいる。
今回もまた不思議な偶然に出合った気がした。
▶︎ 遠い歳月を乗り越え、祖父の人生の軌跡を言葉なく教えてくれるこの手帖は、私の大切な宝物だ
福澤諭吉の暮らした故郷を訪ねたことで、
初めて知る、日本最初の株式会社「丸善」と
福澤諭吉を媒介とした、中津の偉人たちとの
深い深い繋がり。
「わが社には英語の書物の表題が理解できる者がおり、
また薬品の名称を知る者がいるので、
この種類の商品をもって事業とし (中略)
何年にもわたって努力を続ければ、
次第に商売の道を学び取れるのではないだろうか」
『丸屋商社之記』(明治2年1月1日;現代語訳)
長い長い鎖国から目覚め
まだそう何年も経っていないころ。
全てのことが手探り状態だった時代
あれこれと勉強し、見出していった
自らの「得意技」を武器に
必死で「会社なるもの」をスタート
させていった、早矢仕有的と中津人たち。
「丸善」創業から150年。
いま一度、創業者・早矢仕有的の
会社設立にかけた、このまっすぐな思いを
丸善に所縁(ゆかり)ある方々に
感じ取って欲しいと願っている。
<編 集 後 記>
自分の大切な遠い家族の歴史を振り返った時、
代々所々で「福澤諭吉」本人やその門下生に深く
関わりがあることがわかり、何かに背中を押されるように
「福澤諭吉旧居」に併設される「福澤記念館」
その入り口で私を迎えてくれたのは
祖父の旧友、彫刻家・柴田佳石の
手がけた「福澤諭吉胸像」でした。
この場所にも佳石が手がけた作品が
あるとは知らなかったため、大変に驚きました。
【彫刻家・柴田佳石については、こちら】
▶︎「福澤諭吉胸像」 柴田佳石作(昭和28年)原型
遠い家族の生きてきた時間や丸善の歴史を
一人あれこれと調べ続ける私にとって
何より嬉しい贈り物だったことは
言うまでもありません。
撮影禁止にも関わらず、事情を鑑み
快諾してくださいました「福澤記念館」の皆様
本当にありがとうございました。
展示された書物に残る、筆字の小さな書き込みの数々。
福澤諭吉たちがどんなに一生懸命に勉強したのか
その1冊を目にしただけで、胸に沁み入るものがありました。
幕末・明治は遠い昔かもしれませんが
その時その瞬間を懸命に生きた先人たちの
強い息吹を感じる素晴らしい記念館です。
歴史がお好きな方には、是非とも直接お運びいただき
諭吉や彼の周辺を取り巻く、素晴らしい中津人たちの
軌跡を一緒に歩んで欲しいと思います。
▶︎ 「福澤記念館」(中津市留守居町586) (2017年6月24日撮影)
【詳細はこちら】
<参考文献>
『慶應義塾出身名流列伝』 三田商業会 編
『咸臨丸の絆 ー軍艦奉行 木村摂津守と福澤諭吉ー』 宗像善樹 著
『朝吹英二君伝』大西理平著 ( 資料提供;福澤記念館 )